LIGHT NOVEL
交通の要衝として発展した街で、様々な人間が行き交い、商店街は活気づいて、大通りには露店もひしめき合っている。
そんな街中で、魔動車を徐行運転しながらティスリがつぶやいた。
「この規模の街なら銀行がありそうですね」
「路銀でも足りないのか?」
「路銀の補充もしておきますが、それよりもあなたの給金を支払わねばでしょう?」
「おお! もう払ってくれるのか!」
給金と聞いて、オレは心躍らせる。
何しろ衛士の十倍だって話だからな! これで実家にたくさん仕送りしてやれるというものだ。あと今日は美味しいものを食べよう!
思わず涎が出そうになっているとティスリが言ってきた。
「わたしは前払い主義なのです……ところでアルデは銀行口座は持っていますか? 手渡しではなく振込をしたいのですが」
平民で銀行口座を持っているのは、商人を除けばまだ少数派だ。だからティスリがそんなことを聞いてきたのだろう。衛士の給金も現金払いだったし。
なのでオレは頷いて見せた。
「ああ。田舎に仕送りするときに必要だったから口座は持ってるよ」
「そうですか。ではその口座に給金を振り込むよう手続きをしますので」
「了解だ」
オレは頷いてから、ふと気になったことを口にした。
「にしても不思議だよな、銀行って」
オレのそのつぶやきに、運転するティスリは、視線をチラリとこちらに向けてから聞いてきた。
「便利、というなら話は分かりますが、不思議とはどういう意味です?」
「いやだって、手元のコインを妙な箱に入れるだけで、遠く離れた田舎にお金を送れるんだぜ? いったいどうなっているんだか」
「妙な箱って、現金自動預払機のことですか?」
「そうそう、そんな感じの名前だったな。最初、それにコインを入れたときは、ネコババされるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたよ」
「あなた……やっぱりおバカさんですね……」
ティスリは、呆れた感じの声で言ってくる。
「あの預払機で、実際に貨幣を転送しているわけではありませんからね?」
「え? そうなの?」
「そうなのです。転送魔具はまだ大がかりで高価ですから、預払機程度のサイズで、街中にたくさん設置なんて出来ません。よって預払機は、あくまでも現金を貯めたり出したりするだけの装置です」
「へぇ……となるといったい、オレのお金はどうやって仕送りされてんだ?」
「送っているのは情報ですよ」
「情報?」
「ええ。『アルデが十万ペルンを王都から地元に送った』という情報を、地元銀行に送信しているのです。銀行の敷地内にある通信魔具によって。その情報さえあれば、地元銀行に貯金されているお金を家族に渡せるでしょう? 貨幣に名前が付いているわけではないのですから。つまり、実際の貨幣は動かしていないのですよ」
「な……なるほど?」
「もっとも、貨幣の増減に地域差は出てきますから、中央銀行で調整はしています。だからいま説明したほど単純な仕組みではないのですが、基本は『情報をやりとりしているだけ』です」
「へ……へぇ? すごいな?」
「……アルデ、あなた分かってないでしょう?」
「じ、実はそうなんだが……いずれにしても、オレのお金は家族に届いているわけだから問題ないだろ?」
「はぁ……まぁ知らなくても支障はないですけどね」
ため息をつきながら運転するティスリの横顔を、オレはしげしげと眺めながら言った。
「にしてもティスリは、なんだって銀行に詳しいんだ?」
「銀行や貨幣の概念を改めたり、送金の仕組みを作ったのがわたしだからですよ、子供の頃に」
「……は?」
「近いうちに、物理的な貨幣は減らしていき、情報のみの貨幣にしようと思っていたんですけどね。わたしが王女じゃなくなったので頓挫するでしょうけれども」
「情報のみの貨幣……?」
「まぁ……アルデの反応を見る限り、情報貨幣はまだ早すぎる概念でしょうから、頓挫してちょうどよかったかもしれません」
「……いや、意味がさっぱり分からんが……いずれにしても、お前が天才だというのに間違いはないようだ」
「……あなたのそういうところは、嫌いじゃないです」
頬をほんのり赤く染めながらティスリがそんなことを言ってきた。『そういうところ』がどういうところなのか、当人であるオレはいまいち分からなかったが。
まぁいずれにしても、褒められて喜んでいるらしいからいっか。
そんなことを話していたら、赤煉瓦で作られた銀行前までやってきて、オレたちは、馬車の繋ぎ場付近に魔動車を止めた。魔動車が珍しいのだろう、その辺にいた御者たちは目を丸くしていたが。
それから銀行に入ると、受付係に用件を告げてから待たされることしばし、オレたちは番号を呼ばれてカウンターへと歩いて行く。
「いらっしゃいませ。本日はお振り込みということでよろしいですね」
カウンター越しのお姉さんがそう言ってくると、ティスリは「ええ、そうです」と頷いた。てっきり、さきほど話に出ていたナントカ機で振込をするのかと思ったのだが、なぜかティスリは受付窓口で手続きを始めた。
「ではこちらの書類に必要事項の記入をお願いします」
オレとティスリはそれぞれ羽ペンを受け取り、口座情報などを記入していく。もちろんオレは口座番号なんて覚えていないので、財布に入れてあったメモ書きを取り出した。
オレが記入していると、口座番号を暗記していたらしいティスリが先に書き終えて、書類をお姉さんに渡している。
「ご記入ありがとうございます……え? えっと……あ、あの……!?」
そしてティスリの書類を見たお姉さんの顔が、見る見るうちに青ざめていく。ものの見事にはっきりと。
その反応は承知の上だったのか、ティスリは小さな声でお姉さんに告げた。
「お忍びですので、内密でお願いしたいのですが」
「かかかかしこまりました!?」
ああ……なるほど。
書類を見てティスリの素性を知ったのだろう。ティアリース・ウィル・カルヴァン──つまりこの国の王女だということを。
いきなり王族が目の前に座ったら、誰だって驚くわな。
オレも書類を書き終えてからお姉さんに手渡すが、書類を受け取るお姉さんの指先は、気の毒に思えるくらいにプルプルと震えていた。
「そそそそれでは、これからお振り込み手続きを致しますので、しばしお待ちを……!」
そういってお姉さんは、フラフラしながら奥へと歩いていく。途中、つまづいて転びそうになっていた。
そんな後ろ姿を見送り、オレは呻くしかなかった。
「う〜ん……給金をもらうだけでこんなに驚かれるとは、なんだかちょっと気が引けるな……」
「そうですね。でも今後はこういうことはないから安心なさい」
「今後はないって……どうして?」
「すぐに分かりますよ」
「まぁいいけど……」
そんな感じに雑談をしていると、数分後には、先ほどのお姉さんと、あと恰幅のいい初老の男性がやってきた。そして男性とお姉さんは深々と頭を下げた。
「こ、この度は弊行にお越し頂き、誠にありがとうございます……!」
この男性は、きっとこの銀行で一番偉い人なのだろう。脂汗を流しているが。
「ええ。ですがオオゴトにしたくないので、少し声を控えてもらえるますか?」
確かに周囲のお客さんも、何事かとこちらをチラ見している。あんまり注目されたことのないオレは落ち着かない気分になるが、ティスリは王女だけあってか動じる様子はなかった。
「も、申し訳ございません……! そ、それではこちらがお振り込みのご明細になりまする……!」
なんだか敬語が怪しくなっているが、それはともかく男性は、恭しく明細書を差し出してきた。
それをティスリが受け取ると、内容も確かめずにオレに手渡してから、銀行員の二人に言った。
「ありがとう。では失礼しますね」
用件は振込だけだったので、オレとティスリはすぐに立ち上がる。
その後、男性とお姉さんは、オレを魔動車まで見送ってくれたりしてさらに悪目立ちをしたが仕方がない。向こうだって、王女だと知った以上、ハイさようならというわけにもいかないだろうし。
そんなちょっとした騒動を経て、オレは助手席に乗り込んでからティスリに聞いた。
「振込だけだってのに、なんでわざわざ窓口でやったんだ? 素性までバラして」
ティスリは魔動車を発進させながら答えてくる。
「金額が金額でしたからね。預払機では振り込めなかったのです」
「ああ、そういうこと……え?」
オレは手渡された明細書に視線を落とし──唖然とする。
そして間違えないよう慎重に、声に出してカウントしてみた。
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん……」
振り込まれた金額の桁数は、まだまだ続くよ? どこまでも!?
「お、おいティスリ! なんだこの額は!?」
「面倒なので、あなたの給金を十年分一括で振り込みました」
「十年分!?」
「ええ。これなら、わたしの素性が毎回バレる心配もないでしょう?」
「そ、それはそうだが……こんな額、家族や親戚はもちろん、孫の代まで一生遊んで暮らせる額だぞ!?」
「そうなのですか? アルデの家は慎ましやかな生活をしているのですね」
「むしろ王侯貴族サマは、どんだけカネの掛かる生活をしてんだよ!?」
オレは唖然としながら改めて明細書を確認する。
給金の桁を何度数えても、途方もない金額になっていた。
「な、なぁティスリ……こんな額を前払いして、オレが持ち逃げするとか思わなかったわけ……?」
そんなことを聞くと、ティスリは、珍しくも満面笑顔になってこちらをチラリと見た。
「ふふ? このわたしから、逃げられるとでも思っているのですか?」
笑顔だけど、背筋が凍るほどに怖いんだが……
「お、思ってもない……ってか、あくまでも例えだからな? ほんと、逃げようだなんて思ってないよ?」
「そうですか。まぁ別に、思っていても構いませんよ? 例え逃げたとしても地の果てまでも追いかけて、給金分はキッチリ働いてもらいますから」
「さ、さいですか……」
働くと言っても……オレ、今のところ特にやることないんだが……
「っていうか、逃げるとかいう以前にさ」
「以前に?」
「お前って……少なくとも向こう十年は……」
「……?」
言い淀むオレに、ティスリが不思議そうな顔つきで首を傾げてくる。
「十年は、なんです?」
「……いや……なんでもない。向こう十年、がんばりますよ」
「ええ、そうしてください。馬車馬のように働くのですよ?」
「へいへい、分かりました」
──少なくとも向こう十年は、オレと一緒にいるつもりなのか?
それを聞いたところで、ティスリは顔を真っ赤にして怒るだけだろうし……そもそもこっちが気恥ずかしくなってきたので、オレはその言葉を飲み込むのだった。
(おしまい)
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