LIGHT NOVEL
いよいよアルデの故郷へとやってきたティスリでしたが……
ここで重大事に気づきます。
それは……アルデのご家族と対面することになる、ということ!
相手家族との対面となれば、それはもはやアレやコレやと事態が進展するわけで!? 柄にもなく緊張しまくっているティスリは、この事態をどう切り抜けるのか(笑)
さらには、思いも寄らぬところからティスリの天敵が登場したり、アルデの幼馴染み(もちろん女性)まで出てくるわ!?
ドタバタに拍車が掛かる異世界ラブコメ第三弾! ぜひご一読くださいませ!
武術大会もなんとか閉幕し、その祝勝会も終えた翌日。
ティスリとアルデは、フェルガナ領都を出立することにしました。
本当はもう少し滞在する予定だったのですが、王女であるわたしの顔が知れ渡ってしまいましたので、おいそれと観光をするわけにもいかなくなりましたし、すでに王宮から追っ手が掛かっているでしょうから、予定を繰り上げることにしたのでした。
だからわたしは、ため息交じりに言いました。
「まったく……あの元領主には迷惑ばかり掛けられます」
この旅館には王族専用のエントランスがあって、わたしたちは今そこにいました。アルデの他には、大会を通して親交を深めたフォッテスさんにベラトさんの姉弟もいます。
「まぁ仕方がないさ。アレだけ派手にやらかしたらな」
アルデが苦笑してきますが、わたしの苛立ちは収まりません。
「そもそも、わたしは身分まで明かすつもりはなかったのですよ? だというのに、あの元領主が出しゃばるものだから──」
「まぁ、ああいう輩を放置しておくのもまずいだろ。ならむしろ、ここで逮捕できたんだからよかったじゃないか」
「それはそうかもしれませんが……」
わたしは、なんとなくグレナダ姉弟に視線を向けます。その視線に、二人は不思議そうな顔つきでしたが、アルデがぽんっと手を打ちました。
「あ、そうか。おまいさん、姉弟との別れが寂しいから文句言ってんのか」
「は……!?」
思いも寄らぬ事を言われてわたしは絶句していると、アルデがいらぬことをベラベラとしゃべります……!
「大会中は練習詰めで、姉弟と観光地巡りできなかったもんな。本当なら、大会が終わってから四人で巡る予定だったのに──」
「ちちち違いますよ!?」
わたしは慌てて頭を横に振るとアルデの言葉を遮りました。
「このわたしが寂しがるはずないでしょう!」
するとアルデがニヤリと笑って言ってきます。
「なんだよ、同じ釜の飯を食べた仲だってのに薄情なヤツだな。ちなみにオレは寂しいが?」
「なっ……!?」
「誰かとの別れを寂しがったりするのは人として当然だろう? だというのにティスリときたら、人間味がないというかなんというか……」
「………………!」
アルデがわざとらしくお手上げのポーズを取るので、わたしは無言で、アルデの背中をバシバシ叩きます。割と本気で。
だからアルデが「痛ぇよ!?」などと言って距離を取るので、わたしがそうはさせまいと本格的に腰を落とすと──隣にいたフォッテスさんがクスクス笑っていました。
「ほんと、お二人とも仲がいいですね」
「よくありませんよ!」
アルデとケンカしていると、フォッテスさんはなぜかいつもそんなことを言ってきます。わたしは「本気で、眼科医か何かに見せたほうがいいのではないかしら……?」などと心配していると、ベラトさんも言ってきました。
「確かに皆さんと観光できなかったのは残念ですが、致し方ありません。王女殿下を警備もナシに連れ回すわけにもいきませんし」
フォッテスさんも頷きながら言いました。
「それに、殿下が街を歩いていたら、それだけで大混乱ですし。この旅館の周囲は、大勢の臣民に取り囲まれているそうですよ?」
そんな状況を聞いて、わたしはますますため息をつきました。
「はぁ……だから事を荒げたくなかったのです」
わたしのそのつぶやきに、アルデがまたも茶々を入れてきます。
「その割に、ノリノリだったじゃんお前さん。元領主を言いくるめたときなんて──」
わたしがキッとアルデを睨んだら、アルデは素知らぬ顔で明後日の方向を見るのでした。
そしてわたしは、改めてグレナダ姉弟に視線を送ります。
「この埋め合わせは、いずれ必ず。わたしたちは暇ですし、状況が落ち着いたら連絡をください。文字通り飛んでいきますから」
わたしのそんな言葉に、グレナダ姉弟は屈託のない笑顔になって頷いて、さらにフォッテスさんは、おずおずと右手を差し出してきました。
「もちろんです殿下──いえ、ティスリさん」
その指先は、わずかに震えています。普通、どんな貴族であったとしても王族と握手を交わすなんてできるはずもなく、だから平民のフォッテスさんにとっては、畏れ多すぎる行為のはず。
にもかかわらず、こうして手を伸ばしてくれたことに、わたしはこれまでにない嬉しさを感じました。
そしてわたしも小さく笑って、フォッテスさんの手を握り返します。
「約束ですよ? 必ず、連絡をくださいね」
そうしてわたしたちは、エントランスホールでグレナダ姉弟と別れを告げて──
──一路、アルデの故郷へと魔動車を走らせるのでした。
殿下失踪先の予想を大きく外したラーフルは、親衛隊隊長の任を解かれることも覚悟していたが、しかし、リリィ様はそのようなことはなされなかった。
「今、あなたに抜けられては困ります。自身の失態は功績によって挽回なさい」
とのこと。てっきりヒステリーを起こされると思っていたわたしは、思いも寄らぬその寛容さにちょっと感動したりもして、だからことさら王女殿下捜索に熱を入れることになる。
そしてその挽回の機会は、思ったより早く訪れた。
王女殿下が地方都市で発見されたのだ。
「フェルガナ領都に殿下がお出ましになっただと!?」
その一報を聞いたとき、まったく予想していなかった場所だっただけに、わたしは大いに戸惑った。殿下のことだから、フェルガナ領に出向いたのは何か理由があるはずと思ったのだが、しかしその理由がすぐには思い浮かばない。
だが貴重な目撃情報を前にして座しているわけにもいかない。それに、どうせ考えたところで殿下の裏を掻くことなんてできないのだ。
魔動車を昼夜問わずに駆れば、フェルガナ領都までは数日で辿り着くが、果たして殿下は、我々が到着するまで領都に留まっておいでかは……その可能性は限りなく低いだろう。
しかし現地に出向けば、その後の殿下の足取りを予想することも可能かもしれない。だからわたしは即座に立ち上がる。
「よし分かった。今すぐに魔動車の用意を。数人の親衛隊と共に、わたしが現地に出向く!」
伝令兵にそう告げると、伝令兵は恐縮したように言ってきた。
「ラーフル様、その現地に出向くメンバーなのですが……リリィ様も同行するとおっしゃっております」
「なんだと?」
リリィ様は王族直系ではないとはいえ、大貴族のご令嬢でその世継ぎでもある。もしお連れするとなれば、それなりの軍隊を動かさねばならないが、今はそんな編成をしている時間はない。
だからわたしは伝令兵に言った。
「であれば我々は先発するから、リリィ様は後から──」
「いえそれが……先発隊と同行すると申しております」
「そんな無茶な……」
「そんなわけでして、リリィ様に直接進言して頂けないでしょうか」
「……分かった」
この場で伝令兵と押し問答をしていても確かに埒があかない。仕方がないので、わたしはリリィ様の元に向かう。
リリィ様はまだ学生で学生寮に住んでいたのだが、殿下が出奔されてからは、公務が増えたこともあって今は王城内に暮らしている。今日はその私室にいるということで、わたしは私室の前までやってくると、ノックをしてから片膝をついて最敬礼の姿勢を取った。
少しの間、室内でバタバタしていたようだったが、やがて侍女の一人が扉を開ける。
「いいわよ、面を上げて入ってきなさい」
そして私室からリリィ様の声が聞こえたのでわたしが頭を上げると、室内には、旅支度をすっかり終えられたリリィ様が仁王立ちしていた。
わたしは室内に入ってから重い口を開く。
「その……リリィ様。御自らがフェルガナ領に出向くとは本当ですか?」
躊躇いがちに問うわたしに、リリィ様はなんの迷いもなく頷いた。
「もちろんです。お姉様が見つかったのですから、王位継承権を持つわたしが出迎えるのが当然でしょう?」
「いやしかし……リリィ様が出向くとなると軍編成が……」
「そんなもの必要ありません。お忍びですませばいいでしょう。最低限の人数で編成しなさい今すぐに!」
「ですがこの城での公務も……」
「いい加減、あの駄王を叩き起こせばよいでしょう!? すでに至って健康でしょうおじさまは!」
「ま、まぁ確かに……リリィ様にやられたお怪我も全治していると聞いてますが……」
「ならそれで決まりです! それともなんです? わたしが出向くことに何か不服でも?」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
確かに、陛下が復帰なされるならリリィ様を王城内にとどめておく必要性はなくなる。とはいえ、准王族であるリリィ様を、ロクな護衛も付けずに王都の外に連れ出すなど、通常なら絶対に反対なのだが……
あとなぜか、とても嫌な予感がするし……
しかしリリィ様には、わたしの失態を見逃してくれた恩もあるし、何より、殿下を説得するにあたり、わたしでは確かに身分が違いすぎる。
だから王位継承権を持つリリィ様が同行するのは理に適っているのは間違いなかった。
それに今回は、騎馬でも追いつけない魔動車もあるから、野盗などに襲われるような心配もないだろう。
「分かりました……では早急に準備をしますので、一時間ほどお待ちください」
元々は、魔動車一台にわたしを含む四人で今すぐにでも出発するつもりだったのだが、いくら魔動車があるとはいえ、リリィ様が同行されるとなれば最低でも十数人の護衛は必要だ。
だからわたしは、大慌てで親衛隊を選抜し、また侍従長に、リリィ様のお世話をする侍女たちも三名ほど見繕ってもらってから、最終的に五台の魔動車を連ねて王城を出発するのだった。
領都を出発したアルデとティスリは、魔動車を一日走らせると、森の湖畔でキャンプをすることにした。
近隣には宿場町もあるのだが、追っ手の撹乱ということで宿場町を使うのはやめておいた。追いつかれたところで、ティスリにとっては大した問題でもないようだが。
あと買いだめした保存食がまだけっこう残っているというのもある。何しろキャンプは一度しかしていなかったからな。
森の中で野宿するなんて、普通なら野生動物に襲われかねないから愚の骨頂なのだが、ティスリの魔法があればなんら問題ないそうだ。すでに湖畔一帯には防御結界を張ったとのことで抜かりない。
そんなティスリは魔動車から降りると、猫のように大きく伸びをした。
「日中はだいぶ暑くなってきましたが、夜はまだ涼しいですね」
「そうだな。森の中とあってか、ちょっと肌寒いくらいかもな」
オレも魔動車から降りて、月明かりでほんのり輝く湖畔を眺めた。
「それにしても綺麗な場所だなぁ。森なんて狩りのときくらいしか立ち入らないから、こんな場所があるなんて知らなかったよ」
すでにオレの地元の領地まで来ているという話だが、今のところ、故郷に帰ってきたという実感はない。というよりもこんな幻想的な風景を見せられては、ますます地元って感じがしなかった。
空は、森の天蓋が大きくくり抜かれたかのようになっていて、銀色の月が浮かんでいる。その月明かりは湖畔に反射して、夜でもけっこうな光量があった。
オレがそんな湖に見とれていると、ティスリが言ってきた。
「あそこにボートがありますね。この森は、人が出入りしているようです」
「ここまでの畦道もしっかりしていたし、この湖で釣りでもしているのかもな」
「そうですね。あのボートをちょっと借りて、少し沖に出てみましょうか」
とくに反対する理由もなかったので、オレたちは手こぎボートに近づいていく。
手作り感満載の桟橋に手こぎボートは繋がれていたが、ちゃんと手入れをされているようだ。やはり、この森には人がよく立ち入るらしい。
オレたちは向かい合ってボートに座ると、オレはボートをこぎ始める。
揺れる水面を進んで行くと、ティスリが歓声をあげた。
「すごいですね……まるで、この辺り一帯が輝いているかのようです」
「おう、そうだな。同じ水辺でも、領都とはまた違った魅力があるな」
田舎の村で暮らしていたオレだったが、それでもこんな幻想的な光景は見たことがなかった。そもそも、領都を始め各地を観光して回るだなんて発想は平民にはないからな。
ティスリと一緒にいると、本当にいつも新鮮な経験をさせてくれる。オレはそんなことを思いながらティスリを見た。
ティスリは月明かりに照らされて、まるで自身が仄かに輝いているかのようだった。
「アルデ? どうかしたのですか?」
「えっ……!? あ、いや……なんでもない」
「なんでもなくはないでしょう? 不躾にも、ぼけーっとしたアホ面でわたしを見ておいて」
「アホ面は余計だっつーの」
この口の悪ささえなければ、コイツ、女神か天使かというほどに綺麗なんだけどなぁ……まぁもう慣れたけど。
などとオレは思いながら、現実に戻ってくるためにも領都のことを口にした。
「ところで、領都の後始末はしなくてよかったのか?」
領主が逮捕されるなんて一大事件だと思うのだが、ティスリは、警備隊にごく簡単な指示を出した後は我関せずといった感じだった。その地域のトップが急にいなくなれば、例え根腐れしていたとしても支障が出るんじゃないかとは、政治に疎いオレでも思い当たる。とくにオレの村が所属する領地なわけだし。
しかしティスリは、特に気にした様子もなく言ってきた。
「ええ、大丈夫です。ちゃんと代行者を指名しておきましたので。数カ月もあれば、その人間が上手くやってくれるでしょう」
「へぇ、そうだったのか。ならそこまで混乱は起きないか」
「そうですね。まぁ領主代行に指名された人間は、大混乱するでしょうけれども」
「そいつは気の毒に」
ティスリが、悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべるので、オレは、領主代行に思いを馳せて肩をすくめた。きっと無茶ぶりされたんだろうなぁ。
「いずれにしろ、アルデの故郷が不利益を被るようなことはありませんから安心してください。そもそも、これからわたしが滞在するわけですし。例え何かあったとしても即座に対応可能です」
「それは心強いな。でもそうすっと、ティスリの事はなんて紹介すっかな」
オレが独り言のようにつぶやくと、ティスリは小首を傾げた。
「紹介? 村の皆さんにということですか?」
「村全員というか、うちの家族に」
「……はい?」
ティスリは、目を丸くして素っ頓狂な声を上げる。
「ご家族に紹介って……な、なんで……」
妙なことを聞いてくるので、今度はオレが首を傾げながらティスリに言った。
「なんでも何も、オレの地元で小さな村だし。あとお前はオレの主なんだから、紹介しない方が不自然じゃんか」
「そ、そう言われてみれば……確かに……」
「どした? なんか急に落ち着きなくなったぞ」
「そんなことはありません!」
「……そうか?」
明らかに挙動不審になって、ティスリはらしくもなく目が泳いでいるのだが……まぁいいか。ティスリの態度が不意におかしくなるのは今に始まったことじゃないし。
「それでどうする? 王女だって紹介するか?」
「い、いえ……それはできる限り伏せておいたほうがいいでしょうね」
「まぁそうだよな。けど、武術大会のことが村にも知れ渡っているかもしれないから、となると──」
ティスリと相談した結果、武術大会に出場していた王女とティスリは別人、ということで口裏を合わせることにした。
武術大会でティスリが正体を現したのはごく短時間で、しかも突然のことだったから、あの時間で似顔絵を作成できたとも思えない。そもそも、王女に無断で似顔絵を配布するなんてガチで不敬罪だし。
だから王女は大会終了後に王都に帰ったということにした。あとオレの立ち位置としては、王女と懇意にしている政商の娘──ティスリの護衛役を賜ったということにした。ティスリは政商の勉強をすべく、地域視察しているという設定も付けておく。
これでなんとか辻褄は合いそうだ。オレは頷きながらつぶやいた。
「ま、妥当なところか。王女がうちに寝泊まりしたら、うちの両親は心労でぶっ倒れるかもだし。妹とわんこは大丈夫だろうけど」
「……………………は?」
オレのそのつぶやきに、ティスリはまたもや目を丸くする。
「あの……アルデ? 今なんと言いましたか……?」
「え? うちの両親は心労でぶっ倒れるって……」
「いえ、そのもうちょっと前です」
「もうちょっと前? えーと……『王女がうちに寝泊まりしたら』って話?」
「そう! その台詞です!」
ティスリがオレをビシィッと指差すと、身を乗り出して言ってきた。手こぎボートがにわかに揺れる。
「どうしてわたしが、アルデの生家に泊まることになっているのですか!?」
「どうしても何も……オレの実家だからだが?」
「意味が分かりません! わたしだけでも、旅館や宿屋に泊まればいいでしょう!?」
「いやオレの地元はただの農村だぞ? 宿場町みたいに宿屋があるわけないだろう?」
「えっ……!?」
ティスリが目を大きく見開いて、唖然とした顔つきでつぶやく。
「宿屋が……ない……!?」
「そうだよ。っていうか、オレの地元に行きたいって言ってたのに、今まで気づかなかったのか?」
「宿屋がないなんて気づくわけないでしょう!? っていうか、両親にご挨拶だって考えてませんでしたよ!」
よくよく話を聞いてみると、どうやらティスリは、王都や領都までの規模とは考えていなかったものの、それなりに大規模な町を想像していたらしい。
まぁ確かに敷地的には宿場町より断然広いが、それは農地があるからで、人口で考えれば宿場町よりずっと小規模なのだ。そもそも行商人以外、農村に訪れる人間なんていないし。
しかし王都住まいのティスリはそんなこと知るよしもなかったようで、農村に着いてからも、これまで通り旅館や宿屋に宿泊して、気が向いたときに農作業を視察したり、可能なら農業体験したりするつもりだったようだ。
確かにうちの家族は、農村に住んでいながら農業を生業としていないし、そのことは雑談がてら伝えてあった。だからなおさら、オレの家族と顔を合わせたり、寝泊まりしたりの想定をしていなかったらしい。
そんな事情を聞き終えて、オレは腕組みしながら言った。
「うーん……しかしずっと野宿というわけにもいくまい? それこそ村のみんなから変な目で見られるぞ」
「確かに……おかしい事この上ない状況ですね……」
村の外れに、女の子が一人、奇妙なテントを張って野宿しているのだ。人口が少ないからこそ悪目立ちするのは間違いない。
あとオレの知人だとバレたら「なんで家に泊めてやらねぇんだ!」と村中から非難囂々だろう。
近隣の村に世話になるとしても、親戚でもない人間を寝泊まりさせてくれる民家なんて聞いたことないしなぁ。
オレが考えあぐねていると、ティスリは、悲壮な覚悟でも決めたかのような顔つきで言ってくる。
「わ……分かりました。旅館がないのでは致し方ありません……」
「というと?」
「アルデの生家で、お世話になることにしましょう……」
「……そんなにイヤなの?」
覚悟完了しているティスリの心境が、オレにはさっぱり分からず首を傾げていると、ティスリが言ってくる。
「イヤというわけではありませんが……しかし、人様のご家族に紹介されるというのは……その、なんというか……」
「なんというか?」
「で、ですから……本来はいろいろと段取りが必要なわけで……」
「段取り?」
「もう! あなたは本当に想像力が乏しい人間ですね!」
なぜかオレは怒られ始める。ティスリは身振り手振りを交えながら力説してきた。
手こぎボートが揺れるから、あまり動かないで欲しいのだが……
「想像してごらんなさい! もしわたしが、あなたをお父様に紹介するといきなり言い出したらどう感じますか!?」
「お父様って……アジノス陛下のこと?」
「それ以外に誰がいるというのです!」
「そりゃあ……胃に穴が空く思いかもだが……」
「ほらご覧なさい! 人様のご家族に紹介されるというのは、それほどに一大事なのですよ!」
「いや……うちの両親と陛下とでは立場が違い過ぎると思うが……」
何しろ、ちょっとでも無礼を働いたら、物理的に首を飛ばされかねない相手なのだ。緊張するなというほうがどうかしている。
しかしティスリは、そんな身分的背景はまったくお構いなしに言ってきた。
「似たようなものですよ! ご家族の──とくにご両親の存在とはそれほどに大きなものなのです!」
「そ、そぉかなぁ……?」
「そうなのです! とにかくこうなっては、今日はこれから、ご両親の人柄や信念体系などを、じっくりと説明してもらいますよ!」
「い、いや……信念も何も、ちょっと体が弱いだけでごく普通の──」
「体が弱いとは、どの程度弱いのですか!? 寝たきりなのですか!? まさか不治の病を抱えているのですか!?」
せっかく静寂に満ちた森の湖畔だというのに、ティスリの詰問は、その雰囲気を台無しにしていくのだった……
(Kindleに続く)
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