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突然の襲撃で大怪我を負ってしまった旺真だが、フルーレの甲斐甲斐しい看病によって順調に回復していく。
その治療中、敵対していたルペルとは和解して、収入もないというのに女性の同居人はさらに増えたり、増えなかったり!?
そうして擦った揉んだの日常のあげく、修行場探しに山林に囲まれる温泉街に来てみれば、色恋沙汰は混迷の一途を辿り……
そんな温泉回が羨ましい第三巻! ぜひご一読ください!
ルペル襲撃から一夜明けて、
もっとも、全身がけだるくて指一つ動かすのも億劫だったし、熱も出ていて
回復魔法のおかげで、じっとしていれば刺された腹部の痛みを感じることはないが、少し動こうとすると激痛が走るので、思うように身動きは取れない。
そんな旺真の横では、フルーレが畳の上に横たわっていた。
おそらくは、一晩中回復魔法を掛けてくれて、そのまま寝落ちしたのだろう。
今の旺真では上体を起こすことができず、時計を見ることすらままならなかったが、カーテンの隙間から差してくる朝日から推測するにまだ早朝のようだ。となるとフルーレは今し方寝付いたばかりかもしれない。
あるいは魔力枯渇で失神しているのだろうか? 魔族は、無意識に魔力残量を把握していて、失神するほどに魔法は使わないらしいが、そんな制限なしに気力を振り絞ってくれたとしてもおかしくはないだろう。
(まったく……オレが不甲斐ないばかりに、心配かけてしまったな……)
不意を突かれたとはいえ、もっと注意していれば避けられる襲撃だったと、旺真は今さらながらに後悔する。
自分が傷つけば傷つくほどにフルーレは気に病むのだから、今後は、怪我なんてしないよう気をつけなくてはと考えていたら、フルーレが「う……ん……」と小さく声を出した。
それから少しして、フルーレがうっすらと目を開けて、旺真と目が合う。その直後、フルーレは起き上がって瞠目した。
「旺真! 気がつきましたか……!?」
今にも泣き出しそうなフルーレに、旺真は苦笑を返した。
「ああ……今し方な……」
「痛みはありませんか!? 痛いようならすぐに痛み止めの魔法を──」
「大丈夫だよ。動くとまだ痛いけど、寝ている分には平気だから」
「そうですか……では痛み止めではなく、回復魔法を掛けましょう」
「魔力は大丈夫なのか……?」
「ええ、問題ありません」
そう言って、フルーレは回復魔法を発現させる。
布団越しに、回復魔法の温かさが伝わってきたが、フルーレの顔色が悪いことに旺真は気づいた。
「フルーレ、あまり無茶はするなよ?」
「それはこちらの台詞ですよ、旺真」
旺真が言っても、フルーレは魔法をやめそうにない。声を出すのも辛い旺真は、フルーレの無茶を受け入れて瞼を閉じた。
「もう少し眠るよ……悪いな……これからは……こんな怪我しないようにするから……」
「旺真は、悪くなんてないですよ……」
フルーレのその声は震えているようだった。
「フルーレ……気に病む必要はないからな……オレは絶対……強くなるから……」
そうして旺真は、回復魔法の心地よさと共に、再びまどろみの中に沈んでいった。
アストリッドの襲撃からわずか一ヵ月でルペルの襲撃を受け、しかも旺真に大怪我をさせてしまい、フルーレは罪悪感で押し潰されそうだった。
いくら旺真に「気に病むな」と言われたところで、いやむしろそんな励ましを受けるほどに、旺真を巻き込んでしまったことへの罪悪感が膨らんでいく。
元々は、フルーレを追いかけて人間界にまでくる魔族なんていないという想定だったのだ。だから当初は観光気分でいた。
だがクリスマスイブにアストリッドが冷や水を浴びせてきて、しかしアストリッドは本気で襲撃してきたわけではなく、その後はアストリッドも一緒に住むことになったから、あとは大人しくしていれば大丈夫だという楽観もあった。
そうして日常を取り戻して、バイト先では
だが一方で、旺真の元上司である
そんな感じでバイトと修行に励んでいたら、恵菜がダブルデートを企画してくれて、原宿・渋谷に出掛けた。メンバーはフルーレ・旺真・アストリッド・恵菜の四人。
そしてその最中に、ルペル・ロム・サウードの襲撃を受ける。
ルペルは、フルーレの
ルペルも魔力の才覚がないと思われていて、そういった境遇からか、魔界ではすごく懐かれていたのを覚えている。
しかしお互いの歳が上がるほどに、それぞれの役割ができて毎日会うこともなくなったし、フルーレからしても、その言動がどうにも不穏なものに変わっていることに気づいてはいた。
さらにアストリッドの助言もあって、ここ数年はルペルと距離を取るようになっていたのだが、まさかその妹に襲撃されるだなんて、しかも特化型の魔法を隠し持っていただなんて夢にも思わなかった。
ルペルは特化型催眠魔法の使い手で、その特化催眠を用いて、渋谷を通行する数千人の人間を一瞬で操って見せた。
さらには事前に、恵菜に催眠を掛けておき、隠し持たせていた包丁で旺真を突き刺す。これにより旺真は重症を負った。
だが、旺真はそんな状況に陥ったにもかかわらず、今回も奇策を用いてルペルを撃退することに成功する。
生まれながらにして魔法を使えるフルーレたちでも気づかないようなことを、重症を負いながらも見つけ出す旺真の着眼点には、フルーレは内心で脱帽していた。
こうしてルペルは意識を失ったが、しかしそのまま見捨てるわけにもいかない。そもそもルペルがこんな凶行に及んだのは、フルーレが構わなくなってしまったからなのだ。
しかもアストリッドの見立てでは、ルペルの傷は旺真より深いという。となると放っておいたら、いかに丈夫な魔族とはいえ命を失うかもしれない。
だから今は、フルーレたちの部屋で、アストリッドが回復魔法を施している。旺真は一晩で意識を取り戻したが、今は襲撃から三日経ち、
そんな経緯もあり、流れ的にアストリッドがルペルの治療をすることになって、フルーレは引き続き旺真の治療に当たっていた。
なので人間界に来た当初のように、旺真の部屋で寝泊まりしている状態が続いているが、アストリッドは特に何も言ってこなかった。
旺真は意識を取り戻しているとはいえ、今の状態では起き上がることもままならないのだから、一緒に寝起きしたところで、アストリッドが懸念している間違いは起きるはずもなかった。
そうしてフルーレは、今日も旺真に回復魔法を掛けていると、昼を少し回った時分に旺真が目を覚まして、ぼんやりとフルーレを見た。
「いつも済まないな……フルーレ」
「何を言っているんですか。こうなったのもわたくしのせいですから……」
「まぁ、その……なんだ。そうやって何もかも抱え込むのはよくないからな?」
「あっ……そうでしたね。つい……」
この三日ほど、旺真には再三励まされているのに、それでもなお自分のせいだと言うのはむしろ失礼だとはフルーレも分かっているのだが、それでもつい本音が口をついてしまう。
フルーレが申し訳なさそうにしているからか、旺真は話を変えてきた。
「それにしても今のやりとりは……なんだか時代劇みたいだったなぁ……病弱な父親と娘のような……」
「そういうものなのですか?」
「ああ……そういうときは、大抵、借金の取り立てに来たりするもんだが……まぁオレには借金がないのが不幸中の幸いか……」
この三日間の回復魔法で、旺真の傷は塞がっていた。ただし、動くとまだ痛いようだし、下手をすると傷が開いてしまう恐れもある。
だがそれでも、会話自体は痛みもなくできるようになったようで、体力も戻りつつある今日の旺真は少し
寝たきりなのも退屈なのだろう。しゃべりすぎるのも傷に障るが、再び寝付くまでなら大丈夫だと思って、フルーレも会話を続けることにした。
そして旺真が、ふと思い出したように言ってくる。
「そう言えば、小田さんはどうしてる?」
確か旺真は、実花のことを名前呼びするように言われたはずだが、一連の騒動とこの怪我ですっかり忘れているらしい。
フルーレがわざわざ訂正する必要もないので、そのまま流すことにした。
「旺真のことを心配していますが、最近は仕事が忙しいのか、夜遅くまで帰ってきませんね。帰ってきたら顔を見せるのですが、旺真は寝てますので」
「度々巻き込んでしまったからなぁ……小田さんに会えたら謝らないとな」
「ええ、そうですね」
ルペルは襲撃時に実花を盾にしていたので、旺真はそのことを言っているのだろう。すでにフルーレとアストリッドで謝罪しているし、そもそも旺真が謝る必要もないと思うのだが、律儀な性格だからそう感じているようだ。
さらに旺真は問いかけてきた。
「早川さんにはどう説明したんだ?」
「そうですね……恵菜が旺真を刺したということは覚えていませんでしたので……それは伏せています」
「それが懸命だな。操られていたとはいえ、人を刺しただなんて経験、トラウマモノだからな」
「ええ……記憶がないのは不幸中の幸いでした。恵菜は戦闘中、魔法で眠らされたということにしています。そして旺真は、戦闘中に負傷したことになっていますから、恵菜に会ったときは話を合わせて頂ければと」
「分かった。催眠の後遺症とかはないんだよな?」
「はい。念のため、検査系の魔法を使って調べてみましたが、どこにも異常はありませんでした。街で操られていた人達も問題ないと思います」
「そっか。ならよかった……」
「旺真のことも心配してましたよ。今は、わたくしの代わりにバイトに入ってくれているので忙しいと思いますが、落ち着いたら一度会ってあげてください」
「そうだな……渋谷での騒動も、何かしらのパフォーマンスで片付けられたみたいだし、なんとか一件落着といったところだな」
渋谷の一件はニュースにはなっていたが、ニュースを見た限りではそれほど大騒ぎにはなっていなかった。旺真以外に死傷者が出なかったのが幸いしたのだろう。
それから旺真は自分の容態について聞いてきた。
「オレの怪我はどのくらいで治りそうだ?」
「傷は塞がりましたから……動けるようになるまでには三週間といったところでしょうか。ただ人間の重傷者を治療するのは初めてなので、多少前後するかもしれませんが」
「前後したとしても早いよ。確か、手術の小さな傷が塞がるのに三週間前後らしいからな、人間だと。あれだけ派手に刺されたのに、あり得ないほどの回復だ。本当にありがとう」
「いえ、そんな……わたくしは別に……それに旺真は魔力供与されてますから、自身の魔力も回復に使っているはずですし、むしろそちらの方が回復に寄与していると思います」
「なるほど……けど魔力と言えば、フルーレは、魔力枯渇を起こすまで回復魔法を使っているんじゃないのか?」
「そんなことはありませんよ。適度に休憩を挟んでいましたから」
フルーレは、旺真の言うとおり魔力枯渇するまで回復魔法を発現していた。本来なら、魔力枯渇を起こさないよう無意識に制御されるのだが、無理やりに最後の一滴まで振り絞っている。
だが旺真に余計な心配を掛けたくなくて、フルーレはそんな嘘をついたが、たぶん旺真には嘘だとバレているのだろう。
しかし旺真は「そうか、ならよかった」と微笑を浮かべただけだった。何を言っても今のフルーレは聞き入れないことも分かっているのだろう。
そんな話をしていたら、玄関の呼び鈴が鳴った。鍵は開いているのですぐに扉が開き、アストリッドが顔を覗かせる。
「ルペルが目覚めたわ。意識もはっきりしてるし、すぐに契約魔法の交渉に入りたいのだけれど?」
「……分かりました」
気分の重さを押し隠して、フルーレは立ち上がった。
* * *
アストリッドがフルーレに声を掛けてきたのは、ルペルが目覚めたら呼ぶようにとあらかじめ頼んでいたからだった。
ルペルの意識が戻り、会話が成立するならばすぐにでも交渉を始めるというのがアストリッドの意見で、さらにルペルのことを完全に敵視している。
だから行きすぎた交渉は抑えたいという思いがフルーレにはあった。
旺真に酷い怪我を負わせたことは許せないが、しかしフルーレの脳裏には、どうしても、幼少のころのルペルがよぎってしまう。「お姉様、お姉様」と呼びながら、自分を慕ってちょこちょこと追いかけてきた、そんな姿が。
いったいどこで間違って、こんな関係になってしまったのか──今は後悔しかできなかったが、もしも昔の頃のような姉妹に戻れるのなら、そのための努力を今からでもやるべきだと思ったのだ。
兄弟姉妹で血みどろの争いをし始めた今となっては、もはや手遅れかもしれないけれども。
そんな決意を秘めて、フルーレはアパートの自室に戻ると、うつろな表情のルペルが布団に横たわっていた。
「ルペル……」
フルーレの声に反応して、ルペルは、力の入らない視線をフルーレに向ける。
「お姉様……」
ルペルは涙目になって、布団から右手を出してきた。フルーレはその小さな手のひらをそっと握る。
「よかったです、意識が戻って……」
フルーレの目頭も熱くなって、だから言葉に詰まってしまう。だがそんなフルーレの表情に、ルペルはにわかに驚いたかのようだった。
「お姉様……ルペルを許してくれるのですか……?」
だがその問いに答えたのはアストリッドだった。
「それは、あなたの態度次第ね」
アストリッドがフルーレの隣に座ると、ルペルは、ヒッと小さな悲鳴を上げる。
今のルペルは満足に動けないし、特化催眠を掛けられる相手もいなければ、そもそもアストリッドには攻撃魔法で敵わない。そんな状況で、自分を負かした相手が目の前にいるとあれば怯えない方がおかしいだろう。
ルペルはフルーレの手を離し、アストリッドと距離をとろうとして布団の中でもがき始めたのでフルーレが言った。
「ルペル、アストリッドには何もさせませんからそんなに怯えないで。アストリッドも威嚇しないでください」
「別にわたしは、威嚇なんてしていないのだけれど?」
アストリッドはため息をつきながら肩をすくめてみせる。だがそれ以上は何も言ってこなかったので、ルペルが落ち着くのを待つことにしたのだろう。
「ルペル、上体は起こせますか?」
「……はい、大丈夫です」
フルーレはルペルの上体を支えながら、ゆっくりと起こす。フルーレが触れていたほうが、少しは落ち着くだろうと思ったのだ。
フルーレは、ルペルの後ろから優しく抱きつつみ、そうしてルペルが落ち着いた頃合いを見計らってから、アストリッドは会話を再開した。
「単刀直入に言うわよ。わたしたちはあなたの命まで取ろうとは思っていないわ。だけど、あなたをこのまま魔界に帰すわけにもいかない。だから魔界に帰る前に、契約魔法を結んでもらう必要がある」
ルペルは、アストリッドとは視線を合わせずうつむいているだけだ。了承しかねているのか怯えているのか、その表情からは分からない。
「あなたには、わたしたちの要求を拒否する権利はないわ。もし拒否するというのなら、まず、あなたが特化催眠の使い手だということを魔界にリークする。特化型が、自身の魔法を公表される事の重大さは、分かっているわよね?」
「………………」
「さらには特化催眠の弱点も暴露するわ。魔力供与による強制力のほうが強いということ、そして、あなたより魔力の強い魔族には効かないということを」
「………………」
「さらに、血を分けた皇族にも掛けられないのでしょう? もっとも、皇族の中であなたより魔力が弱いのはフルーレしかいないけれど」
「お姉様のことを悪く言うなです!」
フルーレの名前に反応して、ルペルが初めてアストリッドを見た。だがその睨み付ける表情とは裏腹に、ルペルの体は小刻みに震えていた。
ルペルが無反応だから、アストリッドはわざわざけしかけたのだろうが、それでもフルーレはもうちょっとやり方がないのかと思う。
「アストリッド、ルペルを刺激するようなことは言わないでください」
「事実を言っているまでなのだけれど?」
別に、アストリッドが怒り狂っているわけでもないだろうが、何事も事務的に進めていくのは彼女の長所でもあり短所でもある。
「それでもです。あと、わたくしはルペルを魔界に帰すのは反対です」
「は……?」
事前の話し合いとは違うことを言い出して、アストリッドは眉をひそめた。
「フルーレ、あなたどういうつもり?」
「ルペルを魔界に帰したら、このままわだかまりが残るだけです」
「わだかまりを残さないための契約魔法でしょう?」
「抜本的な解決になっていません。それに、アストリッドのやり方はあまりに一方的です」
「ルペルは負けたのだから、一方的にされるのは仕方がないでしょう? そもそも、命を取らないで契約魔法だけというのが大きな譲歩なのよ? 今は戦時中だということを忘れないで」
「それは……そうかもしれませんが……」
「今後、余計な荒事を起こさないためにもルペルは魔界に帰すべきよ」
瞳に強い意志を宿らせてそう言ってくるアストリッドに、フルーレは言葉に詰まる。
アストリッドの言っていることは正論だ。それはよく分かっている。
魔族が──それも皇族が一箇所に集まればそれだけで注目されるし、そうなれば、『大人しくしている』とは言えなくなる。どこかの王侯貴族か派閥かに目を付けられれば、今のフルーレたちはそれだけでジ・エンドだ。
それに戦闘を仕掛けてきたのはルペルのほうなのだから、返り討ちに遭い命を落としたところで文句は言えないし、命を取り留めたとしてもどんな扱いを受けるかなんて選択肢もない。
それが魔界のルールだったし、ルペルがどう抵抗しようと、特化催眠の特性がバレてしまった以上、アストリッドには太刀打ちできないのだ。
アストリッドの言う通り、契約魔法以外にもルペルの行動を抑える方法はいくらでもある。だがそれら手段は、ルペルの心身に深い傷を残すことになるから、今こうして説得している。
そうしてそれはルペルも分かっているから、何も言い返せないのだろう。
フルーレは、沈んだ気持ちでルペルを抱きしめる。
「ルペルは……どうしたいですか?」
しばし沈黙していたルペルは、やがてか細い声で答えてくる。
「ルペルは……お姉様と一緒にいたいです……それが叶うのなら……あとは何もいりません……」
そう言ってからすすり泣くルペルに、アストリッドが目を逸らす。
アストリッドとて、ルペルを脅すようなマネなんてしたくないということは、フルーレにも分かっていた。そうして目を逸らしたその仕草は、ルペルの滞在を黙認するという合図でもあった。
それを見届けてから、フルーレはルペルを正面に座らせてから言った。
「ルペル、あなたの希望は分かりました。ですがあなたは、わたくしの大切な人を傷つけたことに代わりはありません」
「はい……」
「だからその責任を取るためにも、そして、わたくしたちの信頼を取り戻すためにも、契約魔法を結んでくれませんか? そうすれば、人間界滞在を認めます」
フルーレのその言葉に、ルペルが目を見開く。
「ほ、本当ですか……?」
「ええ、本当です。旺真、実花さん、恵菜……もちろんアストリッドも。それ以外でも、わたくしが大切に思っている人達を、今後、決して傷つけないこと。それが契約魔法の内容です。これが守れるのなら、人間界で一緒に暮らしましょう」
「守ります! 守りますよお姉様!」
興奮したルペルが身を乗り出し、それが傷口に触れたのだろう。呻き声を出してルペルが伏せる。
「だ、大丈夫ですか!?」
フルーレは即座に痛み止め魔法を発現させて、ルペルの腹部に魔法を当てる。治癒を続けながらアストリッドを見た。
「アストリッドも、それでいいですね?」
アストリッドは嘆息付いてから答えてくる。
「やむを得ないわね。こうでもしないと、同意は取り付けなかったでしょうし」
契約魔法には双方の同意が必要だ。例えどれほど優位に立とうとも、相手が同意をしないとこの魔法は発現しない。
そうなれば、あとは強制的な手段に出るしかなく、もちろんフルーレにはできないし、アストリッドだって、そんな後味の悪いことはしたくないだろう。
「ありがとう、アストリッド。あなたのそういうところ、好きですよ」
「この状況では、甘いと言われているだけなのだけれど?」
「それはわたくしも同じですから」
フルーレはクスリと笑ってから、ルペルを覗き込む。
「ルペル、まだ痛いですか?」
「いえ、もう大丈夫です……」
フルーレは、ルペルをゆっくり布団に寝かせると、彼女の頭を優しく撫でた。
「今までごめんなさい……寂しい思いをさせて」
そう言われて、ルペルの瞳から涙がポロポロと零れ始める。
そうしてぽつりとつぶやいた。
「最初から……こうしておけばよかったですよ……」
後日──ルペルの体調が回復するのを待ってから、フルーレとルペルの間で契約魔法は履行された。
* * *
「驚いたわ……想像以上に回復が早いわね」
負傷してから一週間が経ち、アストリッドの魔法で旺真は精密検査を受けていた。
けっこう高度な魔法で、フルーレでは魔力が足りず発現できないとのことだったが、
魔法って本当に便利だなと旺真は考えながらアストリッドに聞いた。
「なら、そろそろ動いてもいいか?」
「まだ激しい運動は無理よ。あと一週間くらいは安静にしておきなさい。そのあとは、軽い散歩から始めるといいでしょうね」
「まぢか……ただ寝ているだけというのも退屈なんだよな……」
ここ数日で痛みもだいぶ取れて、意識もはっきりするようになり、いささか暇を持て余していた旺真はため息をつく。
そんな旺真の様子を見て、フルーレがポンと手を打った。
「そうしたら、魔法の座学を行いましょうか? もちろん、体調の様子を見ながらですが」
「なるほど、それはいいな。時間も無駄にならないし、早く戦力になりたいし。で、座学ってどんなことをするんだ?」
旺真のその問いかけに、フルーレが「そうですねぇ……」といっとき考えてから説明を始める。
「旺真の場合は、まずは各種発音の練習ですね。次は、呪文詠唱に必要な単語や構文を覚えること。その辺は基礎の基礎で、その後は、魔法理論の理解を深めることで、最終的にはオリジナルの魔法を作れるようになったりもします」
「発音とか単語とか……まるで、英語の勉強みたいだな……」
「確かに、初歩は語学の勉強に似ているかもしれませんね。でも本格的な魔法理論の習得になると、こちらの学問に例えるなら、数学のような勉強になるかもしれません」
「うぐっ……ま、まぢか……オレ、英語も数学も苦手だったんだが……」
「まぁその辺は、手取り足取り、きっちりみっちり教えてあげますよ」
そんな軽口を叩きながら、フルーレは、どこか含みのある笑顔を作る。
「お、お手柔らかに……」
旺真が怪我をしてからというもの、ずっと沈んでいたフルーレも、旺真が回復するとともに明るさを取り戻していた。
そんなやりとりを聞いてから、アストリッドが言ってくる。
「それじゃ、旺真の面倒は引き続きフルーレが見て頂戴。ルペルにはまだ治療が必要だからわたしがやるわ」
ルペルが人間界に滞在することになったとは、旺真もすでに聞いている。
その話を切り出すとき、フルーレが話しにくそうにしていたのだが、そもそも旺真は、そうなるだろうことは予想していたので、ルペルの人間界滞在は異論なく受け入れていた。
そんなことを思い出しながら、旺真がアストリッドに聞いた。
「ルペルの様子はどうなんだ?」
「傷はだいぶ回復しているし、魔力も戻ってきているわ」
「そうか。なら一安心だな」
突然の襲撃で、一時はどうなるかと思っていたが、かろうじてではあるが今回も切り抜けられて、旺真は一段落といった感じで息を吐いた。
そんな旺真を見て、アストリッドが言ってくる。
「そうそう、魔力と言えばね。あなたの魔力量が飛躍的に上がっているのよ」
「……え?」
アストリッドのその台詞に、旺真は驚いて聞き返す。
「どういうことだ? ルペルとの戦闘では、オレは大した魔法も使っていなかったんだが……」
魔力は体力と似たところがあるとフルーレからは聞いている。体力も、肉体を使えば使うほど増量していくように、魔力も、魔法を使うほどにアップしていくという。
だがルペルとの戦闘時に使っていた旺真の魔法は、逃げるための魔法くらいだから、その程度で魔力が飛躍的に上がるのならば、日々の修行ではもっと魔力がアップしてもよさそうなものだった。
旺真のその疑問に、アストリッドが答えてくる。
「わたしも、魔力供与された人間──魔力受容者というのだけれど、そういう人間を見るのは初めてだから推測よ。おそらく自然治癒の際に、相当量の魔力を使っていたのだと思うわ、無意識にね。魔力は、人間の肉体強化にも関与しているから」
「ああ……なるほど」
旺真は、病床についていたときの記憶を掘り起こしてみる。
「言われてみれば、体内の魔力が使われていた感覚はあったかもしれない。やたらと怠かったのは怪我のせいだとばかり思っていたが、魔力枯渇が原因だったのかもな」
アストリッドは、旺真のそんな感想を聞いて頷く。
「魔族も負傷すると、無意識に魔力を治癒に回すわ。だから負傷時の魔力は著しく減衰するのだけれど、怪我が治れば魔力も回復するのよ。ただしそれは元の魔力量に戻るだけの話なの。旺真の場合、まだ完治していないのにもかかわらず、元の魔力量を遙かに超えているわ」
「そうなのか……それは嬉しいな」
きょとんとしている旺真に、フルーレが興奮気味に言ってきた。
「旺真、これはすごいことですよ! 人間が成長することは、知識としては知っていましたが、それを目の当たりにすると改めて驚きます……! 何しろ魔族は成長しませんからね」
魔族は成長しない──正確に言えば、子供から大人になる成長期はあるが、その成長期が終わったあとは、どれほど肉体や魔法を鍛錬したところで、その能力は伸びないという。
さらに成長期であっても、本人が生まれ持った体躯や能力は決まっていて、それ以上には成長しないらしい。
以前にそんな話を聞いていた旺真は、魔族は遺伝子の影響をモロに受ける生命体なのかもしれないと、素人ながらに思ったことがある。
だからフルーレは興奮しているのだろう。
そんなフルーレに、旺真は苦笑を返した。
「人間としては、特段驚くようなことでもないんだけどな。そもそも、成長しないと修行している意味ないし」
「確かにそうですね。最近は体も引き締まってきましたし」
「そうそう。男としては、そっちのほうが喜ばしくもある。今や腹筋が割れてるんだぞ? まぁ……今は本当に割れてるけど……」
そんな軽口を叩いていたら、アストリッドが言ってくる。
「魔族は魔力増量しないからそもそも異常なんだけど、それにしても増量率は桁違いだと思うわ」
「まぢか?」
「ええ……元気になって実測してみないと正確には分からないけれど、おそらくは、相当なボリュームアップになっているはずよ」
アストリッドが言うには、先週までは、初級魔法を発現させるのがせいぜいだったというのに、今や各種攻撃魔法も発現できるほどだという。
攻撃魔法を発現できることがどれほどすごいことなのか、旺真はピンと来なかったのだが、アストリッドの話だと、魔界でも、攻撃魔法クラスの魔力量を有しているというのは限られた一部のエリートだけだそうだ。
アストリッドが話を続けた。
「何度も言っているけれど、魔力の第一の用途は身体強化よ。魔法によって強化することもあるけれど、魔族は無意識に、かつ恒常的にそれを行っているの。だからそれだけで、魔力が相当量使われているのよ」
そんな説明を聞いて、旺真が質問する。
「攻撃魔法を使える魔族って、どれくらいいるんだ?」
「そうね……王侯貴族はもちろん使えるけど、それ以外となると、全魔族のうちでも五分の一程度ではないかしら? 平民出で攻撃魔法が使えるとなれば、即騎士に取り立てられるレベルね」
そんなアストリッドの説明に、フルーレが食いついてくる。
「ますます旺真が騎士としてふさわしいってことですね!」
無邪気に喜ぶフルーレに、アストリッドは嘆息付いた。
「今のは例え話で、人間を騎士に取り立てること自体が無茶なのだからね?」
「分かってますよ。わたくしだって単なる例え話です」
アストリッドに注意されて、少し頬を膨らませるフルーレ。
なんにしても、出会ったばかりは奴隷の身分だったというのに、今や騎士だなんて大層な出世をしたものだと旺真は思いながらも、しかし、その騎士という身分がどうにもピンとこなかった。
「なぁ、その騎士ってのはすごい役職なのか?」
旺真の疑問に、アストリッドが答えてくる。
「平民が出世できる最高位が騎士だから、平民にとっては憧れの役職でしょうね」
「へぇ……オレの国で例えるなら、国家公務員で官僚みたいな感じかな」
「こちらの行政制度は良く分からないけれど、その官僚というのが平民がなれる少数の役職だというのなら、そうかもしれないわね」
そもそも日本に平民という概念はなくなっているのだが、自助努力によって登っていける国の役職となると、けっこう近いのかもしれないと旺真は思いながら言った。
「もし官僚レベルに即抜擢となれば、確かにすごいことかもしれないな。しかも、一回刺されただけで抜擢だなんて、ある意味ラクかもしれない」
小難しい試験や面倒な仕事をぜんぶすっ飛ばして、寝ているだけで出世できるのはいいなぁと旺真が考えていたら、アストリッドが極めて真面目な顔つきで言ってくる。
「確かにそうね。おそらく人間は、本人の意志で使える魔力以上に……つまり極限状態で魔力を酷使すればするほどに増量するのでしょうから、死にかけるほどに強くなる、ということになるわね」
「え……?」
「旺真、あなた毎回の修行で死にかけなさい。そうすれば飛躍的に強くなれるわ」
「いやあの、アストリッドさん? 目が
「本気で言っているのだから当然でしょう?」
「だ、ダメですよそんなの……!」
至極真面目な顔つきでアストリッドが身を乗り出すものだから、フルーレが慌てて止めに入った。
「毎回こんな大怪我なんてさせられるわけないでしょう!? 下手をすると本当に死んでしまうんですよ!」
「確かに……力加減が難しいかもしれないわね……」
「やることを前提に話を進めないでください!」
フルーレが、アストリッドから旺真を守るかのように抱き寄せる。
フルーレの胸が旺真の頬に当たって、さらには甘い香りが鼻孔を刺激し、旺真は瞬間で真っ赤になった。
フルーレは無意識なのか、赤くなる旺真には気づかずアストリッドに抗議を続ける。
「修行で死んでしまっては元も子もないんですからね!? 修行は安全第一! 旺真を危ない目に遭わせるなんて絶対にダメです!」
フルーレの剣幕に、アストリッドはため息をついてから言った。
「分かったわよ。ちょっとした冗談じゃない」
「あなたの場合、まったく冗談に聞こえないんです! というか、わたくしが反対しなかったら本当にやる気だったでしょう!?」
「しないわよ。力加減が難しいって言ってるじゃない」
「だから力加減の問題じゃないんですっ!」
「はいはい、分かったから。いい加減に旺真から離れなさい」
そこでようやく、自分の胸に旺真の顔を押しつけていることに気づいたのか、フルーレは、いっとき旺真を見下ろした。
もぞもぞと旺真も上を向き、そして目が合う。
「ひゃあ……!」
フルーレがどことなく情けない悲鳴を上げて、旺真を突き倒した。
「うぐっ……!」
不意に押されて、思わず腹筋に力を入れてしまい傷の痛みがぶり返し、旺真が小さく呻く。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか旺真!?」
「ああ、大丈夫だ。大した痛みでもなかったんだけど、反射的に声が出ただけだから」
旺真は手のひらを振りながら、謝るフルーレに苦笑を見せた。
旺真が起き上がると、アストリッドが言ってくる。
「とはいえ、これほどの成長を見せるとは思わなかったから、正直感心したわ」
アストリッドの驚く表情が珍しくて、旺真が感慨深げに言った。
「アストリッドに褒められたのって、これが初めてじゃないか?」
「旺真を褒めたんじゃなくて、人間の可能性を褒めたのだけれど? そもそもあなた、寝てただけじゃない」
「ぐ……それはそうだが……」
「死にかけるとまで言わなくても、今後は、修行の強度をもっと上げるからね? 治ったら覚悟しておきなさい」
「わ、分かりました……」
もしかすると死にかける方がラクかもしれない、と旺真は思うのだった。
* * *
最近の
思いのほか忙しい日々となってしまったが、それで収入もアップするわけだし、何よりフルーレのことを助けたいというのもあって、恵菜はバイトの代わりを率先して引き受けている。
なので怪我をしたという旺真のことは心配ではあったが、なかなか見舞いには出向けずにいた。
そうして、渋谷での信じられない出来事から一週間くらいして、ようやく空き日ができる。
フルーレからも、旺真はだいぶ回復したことを電話で聞いていたので、今日はお見舞いにやってきていた。
古びた木造アパート二階の外通路で、恵菜はドアベルを鳴らす。
昼時だというのに吹きすさぶ風は冷たく、恵菜が思わず身震いしたところで、ドア越しにフルーレの「はーい」と返事をする声が聞こえた。
そうしてすぐに扉が開く。
「ようこそ恵菜。上がってください」
中に招かれて、恵菜は「おじゃましまーす」と言って室内に入る。
六畳一間の居間には、布団の上で座る旺真の他に、もう一人、見知らぬ女性がいた。
恵菜が軽く会釈すると、フルーレが紹介を始める。
「こちらは小田実花さんといって、旺真の元上司です。このアパートに住んでまして、仕事が一段落したとのことで、旺真のお見舞いにちょうど来たところなんです。実花さん、こちらはわたくしの友人で早川恵菜さん。バイト先で知り合いました」
その紹介に、実花は感嘆の声を上げた。
「へぇ……フルーレって友達いたんだ」
「友達くらいいますよ! もぅ……」
そうして、お互いがそれぞれもう少し自己紹介をしてから、恵菜がフルーレに聞いた。
「ちなみに小田さんって、フルーレの母国の話とかは……」
「ああ、はい。一通り知っています。彼女も、わたくしたちの事情に巻き込んでしまった一人なので……」
「そうなんだ。じゃあ、とくに気兼ねなく話して大丈夫だね」
そんな確認をしたあと、恵菜は布団の横に腰を下ろす。
「倉本さん、お加減いかがですか?」
「ああ、もうだいぶ良くなったよ。傷口もほぼ塞がったし、来週には出歩いたりもできるみたいだ」
「そうですか。よかった……わたし、あのときは途中から記憶がなかったから」
「ぜんぜん覚えてないのかい?」
「そうなんです。だから後日フルーレから聞いた話しか知らなくて……」
「そうか。むしろ怖い思いをさせずによかったよ」
「ええ……けど倉本さんのことは、もちろんすごく心配で。でもなんだろう……この気持ち……罪悪感みたいな……?」
旺真を目の前にしていると、なぜか急に謝りたくなってきて、恵菜は首をかしげた。
そんな恵菜に、フルーレが慌てて言ってくる。
「え、恵菜! むしろ謝りたいのはこちらのほうですから……巻き込んでしまって……しかもバイトまで代わってもらって……本当にごめんなさい!」
「いや、それはほんと大丈夫だから。フルーレのせいではぜんぜんないわけだし」
フルーレにはもう何度も謝られているので、恵菜は苦笑しながらフルーレをなだめるしかなかった。
フルーレのせいではないという思いはまったくの本心だ。それよりも同情すら抱いていた。
なにしろフルーレだって、自身の境遇に巻き込まれたようなものだ。こんなにいいコだというのに、境遇によって辛い目に遭うだなんて許せないとも思う。
だから早くフルーレの家──家というにはあまりに巨大な組織なのだろうが──のゴタゴタが片付けばいいのに、と願っていた。
そんなことに思いを馳せながらも、もう一人、魔界のメンバーがいないことを恵菜が尋ねる。
「ところで、アストリッドさんは?」
「隣でルペルの看病をしています。ルペルのほうはまだ治療が必要なので」
「ああ、なるほど。そう言えば和解して、こっちに住むことになったんだって?」
「ええ……今後は、ご迷惑を掛けることのないようにしますので……」
言葉に詰まるフルーレに、恵菜は屈託なく笑って見せた。
「うん、そんなに謝らなくても大丈夫だって。お姉ちゃんっ子だったんでしょう? きっと寂しかったんだよ」
恵菜の意見に同意するように、実花も言ってくる。
「そうよね。見たところ十四、五歳くらいだから、もし人間と同じなら、思春期真っ只中で情緒も成長中なんでしょうし。それに、魔法である程度の制限は掛けるんでしょ?」
「はい。皆さんには絶対に手出しできないよう魔法を掛けます」
「なら、あとはただの少女ってわけだし、フルーレができるだけ構ってあげれば大丈夫よ」
「怖い思いをさせてしまったのに、そう言ってもらえるなんて……感謝しかありません……」
なんとなくしんみりした空気になってしまったので、恵菜は少し大袈裟に切り出した。
「っていうか! 今日は倉本さんのお見舞いに来たんだから。あ、ケーキ持ってきたんですけど食べられます?」
実花の分は想定していなかったのだが、アストリッドが不在なので数はちょうど人数分あった。
ケーキの箱を見せると、旺真の視線がなぜか泳いでいる。
「そうだな……柔らかいなら食べられると思うんだけど……」
「……?」
旺真の目線を追うと、そこには、小さな土鍋が二つあることに恵菜は気づいた。
「あ、ちょうどお昼ご飯食べてました? ならこれはデザートにでも……ってか、どうして食事が二つもあるの?」
恵菜が土鍋を開くと、両方共におじやが入っていた。まだ湯気が立っているから作りたてのようだ。
説明を求めて恵菜がフルーレを見ると、なんだか少し不服そうに言った。
「これは……わたくしが旺真の食事を用意していたら、実花さんも作ってきてしまって……」
「ああ、そゆこと。ならどっちか頂戴よ。わたし、お昼まだだったのよ」
ごく気軽に言った恵菜の台詞に、六畳一間の緊張感が一気に高まる。
恵菜は、ただならぬその雰囲気に思わず息を呑んだ。
「ど、どしたの……? みんな怖い顔して……」
全員を見つめながら恵菜が問うと、実花がちょっと引きつった笑みを向けてくる。
「ど、どうもしてないわよ? 早川さんが食べてくれるのならちょうどいいわ。ならフルーレの友達なんだし、フルーレが作ったおじやを食べるということで……」
「ちょっと実花さん……! それはズルくないですか!?」
「なんでよ? 今知り合ったばかりの人に、わたしの手料理を食べさせるわけにもいかないでしょ?」
「なんでですか!」
「なんでって……この国の慣習みたいなものよ」
「嘘言わないでください! それが慣習だというなら、飲食店は成り立たないではありませんか!」
「免許があればいいのよ」
そんな言い合いに、旺真が止めに入る。
「なぁ……いい加減やめろって。両方ともオレが食べるから……」
しかし二人とも聞き入れず、そしてフルーレが言った。
「傷が塞がったばかりでこんなに食べたら、また開いちゃいますよ!」
さらに実花も言い募る。
「そうよ! 元はと言えば旺真がどっちを食べるか決めないからこんなことになったんだからね!?」
怒りの矛先を向けられて、旺真は閉口してしまった。
そんなやりとりを見ていて、恵菜はすぐに気づいた。
(なるほど……倉本さんの元上司ってことは付き合いも長いんだろうし……小田さんも倉本さんのことが……)
それから恵菜が言った。
「なら、二つをそれぞれ半分ずつわたしに頂戴よ。それで残りの半分を倉本さんが食べれば一人前になるし、万事解決でしょう?」
部外者からの見事な提案に、二人ともポカンとする。
少しして、怒りも冷めてきたのかフルーレがぽつりと言った。
「そ……そうですね……そういうことでしたら……」
さらに実花も言ってくる。
「とくに問題ないわよね……えっと、ごめんね? いきなり見苦しいところ見せて……」
そんな二人に、恵菜は満面笑顔で言った。
「いえいえ。せっかくの手料理ですもの。作ってきた相手に食べさせたいその気持ち、よっっっく分かります!」
今さらながらに恥ずかしくなってきたのか、二人とも身を小さくして頬を赤らめている。
見た感じ実花は、フルーレや恵菜より年上だろうが、にもかかわらずフルーレと張り合う姿を見て、恵菜は「なんだか可愛いなこの人」と思う。
なので、ちょっとからかいたくなってきた。
「ならば提案なのですが! せっかくの手料理、二人で交互に食べさせてみては?」
『……は?』
フルーレと実花の声がハモって、揃って目を丸くする。
ついでにフルーレと実花の背後では、旺真が首を横にブンブン振って拒否のアピールしていたが、間違いなく『絶対に押すなよ』的なネタだろうと思って恵菜はスルーした。
「いやだから、『はい、あ〜ん』ってヤツですよ。フルーレは前にもやったじゃない」
「やったの!?」
実花が驚いてフルーレを見る。フルーレは頬を赤らめながら言い訳をした。
「あ、あれは……クレープで、食べる道具が何もなかったから……」
恵菜がすかさず突っ込む。
「クレープを手渡せばよかったじゃない」
「…………!!」
そうしてフルーレは二の句が継げなくなった。
それを見た実花は、拳を握りしめて言ってくる。
「フルーレがやったなら、わたしもやるわ!」
そしてレンゲを手に取っておじやを掬うと、ふーふーっと息を吹きかけた。
当の旺真は、タジタジになりながらも言った。
「あ、あのおださ……いや実花……! 自分で食べられるから!」
「わたしもやらないと不公平でしょ!?」
「どういう理屈……!?」
抵抗も空しく、旺真は口元までおじやを差し出される。実花は真っ赤になりながらも言った。
「ど、どぉぞ……」
その台詞に、恵菜がすかさず指導を入れる。
「小田さん! そこは『はい、あ〜ん』ですよ!」
そんな茶々に、頭から湯気でもださんばかりの勢いで実花が言った。
「はい、あーん!!」
観念した旺真が、おじやを口に入れる。
「……おいしいです」
実花は、トレイの上にレンゲをそっと置くと、両手で顔を隠した。
「元部下相手にナニやってるのわたし!?」
溜まりかねてか、もぐもぐしながら旺真も頷く。
「確かに、仕事のときとは別人というか……」
「やめて言わないで!」
どうやら実花は、最初の一口で再起不能らしい。一定以上の年齢になると、人前でイチャつくのは恥ずかしいようなので、彼女はもはやそういうお年頃なのだろうと恵菜は思い、これ以上いじるのをやめた。
「そうしたら次はフルーレだよ」
真っ赤になってうずくまる実花は捨て置いて、恵菜はフルーレを促す。
「まったく……恵菜は余計なことばかりするのですから……」
文句を言いながらも、フルーレもレンゲを取った。実花と同じく顔を赤らめているが、実花ほどに羞恥心は刺激されていないらしい。
「そ、それじゃあ旺真……あ〜ん……」
「あ、ああ……」
旺真も決まり悪そうにしながら、フルーレのおじやを口にする。
「お、美味しいですか……?」
「もちろん、美味しいよ。久しぶりの食事だしなおさらだ」
できればもっと落ち着いて食べたかったけど……と旺真はつぶやいていたが。
そんな感じで、けっきょく旺真は、交互に『あ〜ん』で食べさせてもらうことになる。
その光景を眺め、余りのおじやを頬張りながら恵菜は思った。
まず、旺真はアストリッドと恋人同士との説明だったが、これは完全に嘘だろう。原宿でのダブルデートのときから疑ってはいたが、今はもう確信に変わった。
次に、恵菜とは今日知り合ったばかりだというのに、あまりに分かりやすい旺真の元上司・実花は、どう見ても旺真のことを好いている。これも間違いない。
ということは、旺真・フルーレ・アストリッドの三角関係ではなく、旺真・フルーレ・実花の三角関係なのだろう。
だがここで気になるのが、どうしてアストリッドが嘘までついて、旺真との恋仲をアピールしてきたか、だ。
アストリッドのあの態度では片思いしているわけでもないだろうから、そうなると考えられる可能性としては、旺真とフルーレが付き合うことを快く思っていないということになる。
であれば、もしアストリッドが実花側についているとしたら非常にやっかいだ。
恵菜は、その疑問を解消すべく実花に聞いた。
「あのぅ、小田さん。アストリッドさんとも知り合いなんですか?」
「え? ええ……元々は、アストリッドがわたしに接触してきたのよ」
実花は、アストリッドと知り合った経緯を説明する。
当初、アストリッドはフルーレを魔界に帰そうとしていて、それで実花に協力を要請してきて、台場で一芝居打ったということを。
「ちなみにわたしも、アストリッドから魔力供与されているわ。旺真みたいに修行はしていないから、魔法は使えないけれど」
「そうなんですか……ということは、アストリッドさんとは仲良しなんですか?」
「仲良し……と言えばそうなのかな? まぁわたしは友人だと思っているけど、向こうはどうかしらね」
そういって実花は苦笑するが、恵菜は、アストリッドも実花のことを友人だと思っているのだろうと感じた。なんとなくだが。
となれば当然、アストリッドも実花の恋心には気づいているだろう。これほど分かりやすい人なのだから。
アストリッドが、旺真とフルーレの仲を快く思っておらず、身近に旺真を思う友人がいるとあらば……まず間違いなく、アストリッドは実花を応援しているはずだ。
(うむむ……それは何かとまずいわね……)
フルーレを応援したい恵菜としては、アストリッドに敵対されるのは避けたい事態だ。これもなんとなくだが、アストリッドは恋愛事も百戦錬磨な気がする。
おそらくアストリッドは、フルーレの立場とか、世界の違いとか、そういったことを考慮して、旺真と恋仲になるのを阻止したがっているのだろう。
そしてフルーレ自身が旺真への恋心を認めないのも、その辺が理由のはずだ。
フルーレの立場を知らなければ、好きなのにどうして認めないのか理解できなかったが、異国どころか異界の皇女様ともなれば、それも理解はできる。
(でも……納得はできない……!)
これらの事を面と向かってアストリッドに尋ねようものなら、シビアな正論を突きつけられ諭されるだろうから、恵菜は、フルーレの恋心を密かに応援することを心に誓う。
(けど……だとしたら援軍が欲しいところよね……)
当のフルーレも恋心を認めていない状況で、かつアストリッドは魔法が使えるのだ。恋愛事に魔法が役に立つかどうかは分からないが、いよいよになったら魔法でどうにかされてしまう恐れはある。
(せめて、こちらも魔法が使えたらいんだけど……)
おじやを交互に食べさせる二人を眺めながら、恵菜は唸るのだった。
(Kindle本に続く)
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