Extra Edition
ヒモ活 第2巻 番外編
「今日、旺真の修行に立ち会ったんでしょ。少しは進展はあったの?」
フルーレの護衛を終えて帰ってきたアストリッドを掴まえると、実花は自室に連れ込んだ。
アパートの3部屋目はすでに契約済みで、実花と旺真がそれぞれ1部屋を占有していて、フルーレとアストリッドでもう1室を共有している。
そんな自室の玄関で、実花は声を押し殺して叫んでいた。
「あったから呼んだんじゃない……! 今日はトコトン付き合ってもらうからね!」
「なら、その報告を期待しているわ。フルーレに断りを入れてくるからちょっと待ってて」
そう言って、アストリッドは実花の部屋をいったん後にする。「今日は実花と呑むわ」などと告げに行ったのだろう。
おそらくフルーレは、旺真に対する良からぬ事を、呑みながら二人で企むことは分かっているのだろうが、しかしフルーレとて、それに首を突っ込むほどに旺真と進展があるわけでもないから、アストリッドを止めることはなかったようだ。
ちなみに旺真は、修行後の疲れですでに寝入っているはずなので、フルーレと二人っきりになる心配もない。
そんなわけでアストリッドは、実花の部屋にすぐ戻ってきた。バスタオルと着替えを携えて。
「ちょっとシャワーを貸してちょうだい。フルーレが使ってるのよ」
アストリッドがシャワーを浴びている間、実花は夕食と晩酌の用意をする。
実花も少し前に帰ってきたばかりだったので、食事もおつまみもスーパーで買ってきた惣菜だった。
一通り準備ができたところで、実花は手持ち無沙汰になってしまう。
薄い壁伝いに聞こえてくるシャワーの音を聞いていても仕方がないし、さりとてじっとしていると、修行中の旺真とのやりとりを思い出して暴れそうになる。
「アストリッド〜、先に一杯やってるからね」
いちおう声だけ掛けると、実花は赤ワインのコルクを抜いた。実花のお気に入りの一本だった。
ワインを口に含み、チーズをひとつまみ放って、それを数回繰り返しているとアストリッドが上がってきた。
「気が早いわね。いったい何があったのよ」
バスタオル1枚を体に巻いただけのアストリッドが、呆れ顔で言ってくる。
「ふふん、今日こそは、あなたをギャフンと言わせてやるからね」
「ギャフンってどういう意味よ。ドレッサーも借りるわよ?」
鏡台に向かい、魔法で髪を乾かすアストリッドの後ろ姿に、実花が話しかける。
「ところであなた、いい加減そのラフな格好やめてよ。こっちまで恥ずかしくなる」
「女同士なのだから、別にいいでしょ」
バスタオル一枚のその姿は、同性の実花でも目のやり場に困るほどに艶めかしさを感じる。
元いたマンションで同居していたころからこうだったのだが、未だに慣れない姿だった。
「フルーレの前でもそうなの?」
「そうよ? まぁもっとも、皇城にいたときは、フルーレの前で入浴するなんてなかったけれど」
「そんなんじゃ、だらしなさがフルーレにも移るんじゃない?」
「皇族の立ち振る舞いが人前でできているのなら、プライベートは別にうるさく言わないわよ。もっとも、あの子はいつもきっちり着替えてバスルームから出てくるけれども」
「どっちが教育係なんだか分からなくなるわね……」
魔法により、あっという間に髪を乾かすと、アストリッドはバスタオルを無造作に取って下着を付け始める。
いよいよ目のやり場に困った実花は、手酌でワインを注いだ。
「アストリッドも赤でいい?」
「ええ。こちらのお酒は薄味だけど、何を呑んでも美味しいからね」
実花が好んで買うワインは、濃厚かつ重いタイプなのだが、魔族にとってはそれでも薄味のようだ。
そしてアストリッドが着替えを終える。着替えと言っても、下着の上から大ぶりのTシャツ一枚を羽織っただけで、異性の視線を釘付けにするであろう曲線美が凄まじい両脚は剥き出しのままだったが。
そもそもアストリッドは、寝るときは何も着ない派だったそうで、旺真と同居していたから寝衣を着ていたという。
そして部屋を分けて女性三人同居になったときには、また衣服を脱ぎ始めたのだが、フルーレに窘められていた。もはやフルーレのほうが教育係のようだと実花は呆れていたが。
ちなみに実花は、今も昔も上下のスウェット姿だ。
そんな実花の向かいに、アストリッドは腰を下ろした。
* * *
乾杯してから、いきなり実花がモジモジしだすので、即座に面倒になってきたアストリッドが切り出した。
「それで、一体何があったというの? もう交際を始めたとか?」
「そそそ、そんなわけないでしょ!?」
「じゃあわたし、心底どうでもいいんだけど」
「結果を急ぐのはあなたの悪いくせよ! 優れた上司は過程を重んじるんだからね!?」
「わたし、あなたの上司ではないのだけれど」
「と、とにかく!」
実花は、ワインをグッとあおってから話を続ける。
「物事には順序というものがあるんだからね!?」
「はいはい、分かりました。それで、その順序通りに何をやってきたというの?」
「ふふん……実はなんと……」
そこでまた、実花はワインをグッと飲み干し、アストリッドに注がせてから、胸を張って言い放つ。
「わたし、ついに……倉本君と名前で呼び合うことになったの!」
「……………………」
「あ、いけない。倉本君じゃなくって、旺真だった!」
「……………………」
「どぉどぉ!? すごくない!? まるで恋人同士みたいでしょ!?」
「……………………」
「そっかそっか。驚きのあまり声も出せないか」
実花は一人で勝手に納得して、またぞろ一気にワインを仰ぐ。
以前実花から、「この手のお酒はゆっくり呑むものなのよ」と教わったはずだが、実花自身がまったくできていなかった。
「まぁ……なんというか……」
アストリッドは、意気揚々とワインを飲み続ける実花に言った。
「……確かに、驚きはしたわ」
アストリッドのその台詞を聞いて、実花はいよいよ有頂天になる。
「まぢで!? この仏頂面で無愛想で無表情のアストリッドを驚かせるなんて、わたしってすごくない!?」
「酷い言われようだけど、まぁすごいわね」
「やった! わたしすごい!!」
「その歳で、精神年齢がティーン並みだなんてすごすぎるわ」
「どぉいう意味よ!?」
もともと、アストリッドが褒めているわけではないことはさすがに分かっていたのだろう。
実花はテーブルにドンッと拳を下ろした。
「いやあなたのことだから、驚かないのは分かっていたけどね!? わたしからしたら大した進歩なんだから! それを何!? ティーンって小中学生ってこと!?」
「思春期真っ只中のウブな女の子って意味だけど、小中学生の年齢がそれに該当するならそうよ」
「思春期!? わたしのこといくつだと思っているわけ!?」
「何? はっきり言って欲しいの?」
「やめて言わないで!?」
実花は、ワイングラスを机の上にそっと置いてから、畳の上にまるまって耳を塞いだ。
「アストリッドの言葉は、下手な刃物より突き刺さるんだから!!」
「だというのなら、もうちょっとがんばったらどうなの?」
「これでもがんばってるわよ!」
そうして実花はすぐに起き上がると、唐揚げをほおばってワインで流し込んだ。
「はぁ……まぁあなたが褒めてくれないのは、最初から分かってたけどさ……」
「なら、下手な小芝居しないで素直に認めなさい。『だからわたしは行き遅れなんです』って」
「褒めてくれないとは分かっていたけど、蔑めとはいっていない!」
小芝居はまだ続くのか、実花は膝を抱えてすすり泣き始めた。涙は出ていなかったが。
「ぐすん……これでもすごくがんばってるんだからね? 今日だって、顔から火が噴きそうなほど恥ずかしかったのに、くらもとく……旺真がドン引きしているのにがんばって……ああ! めちゃくちゃ恥ずかしい!!」
もはや演技ではなくなってきたのか、実花は今度こそ本気で頭を抱え、畳の上にまた丸まった。
「ううう……この恥ずかしさは……酒で打ち消すしかないよぉ……」
「はいはい、ならじゃんじゃん呑みなさい。今日は付き合ってあげるわよ」
「アストリッド……優しい……」
実花が涙目でアストリッドを見つける。
「普段は冷たいくせに気は利くし……無愛想なのに優しいし……まるで、少女マンガに出てくるイケメンみたい……」
「少女マンガとやらもイケメンとやらも知らないけれど、なぜか嬉しくないわね」
「もうこうなったら……アストリッド! わたしと結婚して!?」
「無理よごめんなさい勘弁して」
「わーん! 同性にも降られたーーーーー!」
喚きながら、それでもワインをちびちびなめる実花に、アストリッドは肩をすくめてみせる。
「それにしても……あなた、別に見た目は悪くないし、スタイルだってよいし……なのにどうして、今までカレシの一人もできなかったの?」
「なんでそこまで飛躍するの!?」
「事実なんだからいいでしょ」
「ちーがーいーまーすぅー。昔はカレシとかいたしぃー」
「なら、その写真でも見せなさいよ」
「そ、それは……………………あ! わたし、別れた男は忘れるタイプだから、写真とか消しちゃうのよ!」
「はいはい、そうですか」
アストリッドはサラダを摘まみながらも、しげしげと実花を見る。
「実花の職場は、男性が多いんでしょう? 言い寄られたりとかはしないの?」
「う……そ、そういったことはございませんね……」
「顔もいい。スタイルもいい。それでいて男が言い寄らない……つまりは性格か……」
「違うわよ!?」
実花は身を乗り出して、全力で否定してくる。
「アストリッドには分からないでしょうけどね! 最近の男ってのはみんな草食系なのよ! だから自分から女性にアプローチなんてしないの!」
「草食系? 人間は、食料と性格に因果関係があるの?」
「例えよ例え! もっと分かりやすく例えるなら、そうね……女性に対しては、みんな旺真みたいな性格をしているってこと!」
「ああ……なるほど……」
今の例えには妙な説得力があったが、しかしアストリッドは、だからこそ眉をひそめる。
「……それって、生殖本能が薄れているんじゃない? 人間界は大丈夫なの?」
「駄目かもしれません……」
アストリッドのその指摘に、実花は反論する余地もなかったのか、がっくりとうなだれた。
アストリッドが、ため息を一つ付く。
「いずれにしても……男が草食系なら、あなたがなおさら頑張らないと駄目じゃない。旺真は、草食系代表みたいな男なんでしょう?」
「あう……だからがんばってるじゃないー。今後は名前で呼び合うんだからー」
「わたしもフルーレも、名前で呼び合っているのだけれど?」
「外国人みたいなあなたたちと、日本人のわたしたちとでは、その重みが段違いなんですぅー」
「そんなものかしらね……」
旺真も旺真だが、頭の中が少女から成長していない実花も実花だ、とアストリッドは内心で思う。
今後どうやって、体だけが成長しきったこの少女を焚きつけてやろうかと思索を巡らせた、その直後だった。
「実花、ちょっと待って」
アストリッドの雰囲気が急に変わったのを実花も察したようで、「ど、どうしたの……?」と聞き返してくる。
アストリッドは玄関を注視するが──すぐに吐息を吐き出す。
「まったく、あの子は……」
そう零して立ち上がると、勢いよく玄関を開けた。
「ちょっ……アストリッド?」
アストリッドの背中に隠れるように、実花も外通路に顔を覗かせる──と。
二人の視線の先には、旺真の部屋の玄関を開けようとしていたフルーレの姿があった。
アストリッドが仁王立ちになって口を開く。
「フルーレ、あなたは一体、何をしているのかしら?」
「ななな、何もしていませんが……?」
「旺真の部屋を開けようとしているように見えるのだけれど?」
「ききき、気のせいでは……?」
「気のせいだというのなら、なぜ鍵穴に鍵を入れているのか、説明してご覧なさい」
「……………………」
蛍光灯が切れかかっている外廊下で、フルーレはいっとき黙考し、それから言い放つ。
「いいじゃないですか! わたしをのけ者にするからいけないんですよ!」
「何を逆ギレしているのよ。それで旺真に夜這いをすると?」
その台詞に、背後から「よよよ夜這い!?」という悲鳴が聞こえてきたが、アストリッドはスルーした。
そして眼前のフルーレも、アストリッドの言葉は予想外だったのか慌てふためいている。
「夜這いなんてしませんよ!? ただちょっと、旺真の様子を見たくなっただけ、というか……」
「愛しい男に添い寝でもしたいってこと?」
「誰もそんなことは言っていません!!」
真っ赤になってフルーレは言い返してくるも、アストリッドに突っ込まれて初めて、途方もなく大胆なことをしでかそうとしていたことに気づいたらしい。
言い返しては見たものの、その視線は定まらずにうろたえまくっていた。
「まったく……あなたたちは……」
色恋沙汰のイの字も知らない二人に、アストリッドは深いため息を一つ。
「フルーレ、寂しいというのならこちらに着なさい。実花ともども、恋愛の基本というものを教えてあげるわ」
自分自身、恋愛経験はないというのに一体何を教えるというのだろう?
頭の片隅に浮かんだその囁きは、しかしアストリッドは、いつもの鉄面皮で封じ込めるのだった。
to be continued ──
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